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2002年3月 スタディツアー報告 ―3月24日
パヤタスの子供たちと貧困 (Written by Oさん、21歳)


 明日はいよいよ最終日という3月24日。私達にはひとつ重要な訪問地が残っていた。マニラ首都圏の北東部にある都市貧民地区、パヤタスである。そこは今回私達が参加をさせてもらったFoE Japanの活動とは別に、合同でツアーを行ってきたCFFC(フィリピンのこどもたちの未来のための運動)が、デイケア・センターでの支援を中心に関わってきた地区だ。

この地区には、フィリピンの都市化に伴い増大してきた1日3000トンにものぼるゴミが毎日のようにケソン市内各地から運ばれてくる。さらにゴミ捨て場周辺一帯には、極めて劣悪な生活環境にも係わらず、多くの住民がスカベンジャー(ゴミを拾って生活する者)として日々暮らしを営んでいる。まさにフィリピンの貧困を象徴する場所だ。

この日、私達は二班に分かれて実際にこのパヤタスの巨大ゴミ捨て場に入り、人々がゴミを拾っている姿を見ることが出来た。ゴミ捨て場の中では、ほんの数十分立っているだけでも胸が悪くなるような強い悪臭とトラックの騒音、そしてハエの乱舞に圧倒される思いだった。トラックからゴミが吐き出される度に、人々は一斉にゴミに群がり、プラスチックや空缶、ビニールなど換金可能なゴミを探している。群れの中には小さな子供たちも沢山混じって働いていた。

20分ほどその場にいると、ゴミを拾っていた8歳くらいの女の子が笑顔で話しかけてきた。汚れたピンク色のぬいぐるみを抱えている。"Are you a Chinese?""No, we are Japanese ! "そんなやりとりを交わしながら、私はその笑顔に驚きを感じていた。何より意外だったのは、彼らが卑屈になるでもなく、警戒するでもなく、また媚を売るわけでもなく、ごく自然に私に接してきたことだ。屈託のない彼女の自然な笑顔を見て、私は「境遇の違い以外に、私も彼女も違う所は何ひとつ無いのだ 」ということを改めて思い知らされた。自分の中に隠れていたかすかな貧困に対する偏見を知って、私は初めて「生まれた場所が少し違えば、そこにいる少女は自分だったかも知れない」と強く感じた。毎日をゴミ山で過ごす彼女に幼い日の自分の姿を重ねると、その生きなければならない現実の落差の大きさにひどく胸を突かれた。

 この日、デイケア・センターでは1階にある幼稚園の卒園式が行われていて、子供たちは皆、きれいな衣装に身を包み、明るい笑顔を見せていた。映画「神の子たち」にも描かれているように、この地区では子供たちが病気になったり、貧困のために学校に行けないことが非常に多い。そんな中にあって、この卒園式での光景は非常に幸せそうに見えた。午後には、パヤタスから移住した人々が住むモンタルバン再定住地を訪れ、人々の生活の様子を聞いた。多くの家庭では、父親が失業に苦しみ、そのためやはり多くの子供たちが学校に行けない状態にあった。仕事が見つからず、ゴミを集める以外に生きる手立てがない、という彼らの厳しい状況を知り、貧困の根深さを感じた。

 今回のツアーでは、ダムにまつわる問題を目の当たりにしてきたが、最後にパヤタスを訪れたことで、もうひとつ違った視点から経済発展の裏側について考えることが出来た。何事もなく無事日本に帰国し、毎日の豊かな生活を享受していると、一体このツアーで出会ってきた人々に対して自分は何が出来るのか、こんなに満ち足りた生活をしていて良いのか、などと思わずにはいられない。

「神の子たち」の映画について、ある人はこう言っている。「写っているのは他人の悲劇ではない。手を差し伸べなかった我々の冷酷さである。」自分が何をなすべきか、まだきっちりと定まっているわけではないが、少なくともこの言葉をきちんと受け止め、無関心な人々のひとりとしてではなく関心を持つ者のひとりとして、自分の出来ることを模索し続けていきたいと思う。


3月23日 > 3月24日 > 3月25日
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