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現地レポート(2)
「山へ戻る人々 生活を求めて」 (2002.11.01)
2002年11月1日


山へ戻る人々 生活を求めて

 ダムで水没した村の見える場所で
 サンロケダム周辺で暮らしてきた人々は従来、アグノ川とその周りに広がる土地に根付いた生活を送ってきました。朝5時に起き、6時半には学校に出かける子供たちへの朝食を用意し、家畜にエサを与え、その後、水田や川での砂金採りに出かける――そんな日々を過ごしてきたと言います。

 しかし、今は耕す土地がない。川での砂金採りももうできない。最悪の場合、家の周りにブタ小屋を建てたり、野菜を植えるほんの小さな庭もない。何をするでもなく、家の玄関先や木陰にぶら下がったハンモックに腰掛けている人々の一人は「今はすることがないから、ただ座っているだけ。昔だったら、土曜には、学校が休みの子供たちも一緒に砂金採りに行っていたけれど。」そうぼやいていました。

 そんな中、生活手段を求めて山に戻っている人々もいます。貯水エリア(ブランギット村)から事業者の用意した再定住地に移住せず、以前生活していた場所から一つ山を越えた別の山の中腹、おそらくは貯水池の中に沈まないであろう場所で、生活を続けていこうとしている人々です。彼らは月に3〜4度の割合で山から下り、魚や炭などを売って、必要なものを調達した後、また山に戻って生活をしているということでした。

 9月半ば、その彼らの生活している場所を訪れる機会がありました。慣れていない私たちの足では片道5、6時間(彼らの足で3、4時間)。一つ山を登りきると、ダムに向かって貯水池のちょうど左側に出、そこからはずっと、ダムと貯水池を望みながら貯水池を取り囲む山々を越えていきます。そして、貯水池を挟みダムとちょうど向かい合う辺りまで来たところで、ようやく一軒、二軒と家が見え始めました。現在、4、5世帯がこの辺りで生活しているということです。
  ダムの貯水池
 <ダムと貯水池>
 歩き始めて2時間ほどすると、ダムと貯水池が見え始めた。(2002年9月 FoE Japan撮影)


カブカビテの家
 <新しい住まい>
 歩き始めて5時間。ようやく目的地の家に到着する。(2002年9月 FoE Japan撮影)
家の側の畑
 家の周りに植えたばかりの野菜。

ダムと貯水池
 ダムのちょうど向かい側から見たダムと貯水池。彼らの家を行く道からはダム(写真奥)と貯水池がよく見える。
   私をその場所に案内してくれた若い夫婦は、ここに戻ってくる理由をこう 語ってくれました。「再定住地に行ってもやることがない。持続可能な生計手段をくれれば再定住地に行くけれど、今は100万ペソもらったって、ここを 動かない。砂金採取ができなくなった今、私たちがほしいのは土地。」

 孫と一緒にここに移ったという66歳の女性は、貯水池でとれたという魚と、家の裏でとれたカモテの葉っぱを料理しながら、「ここはすでにフィリピン電力公社の土地のようで、彼らは自分たちを不法占拠者だとして、立ち退くように言ってきた。でも、私はこの山々でずっと暮らしてきた。動きたくない。この土地を所有したいと言っているんじゃない。ただ、ここで作物を育てて暮らしたいだけ。」と、ここで生活を続ける理由を語る一方、「でも、ダムで皆がこの山々を去ってしまって寂しい。皆に戻ってきてほしい。」とも漏らしていました。

 彼らの生活している場所へ行く山道からは、一枚の写真には到底収まりきらないほど大きいダムとダム湖がよく見えます。ダム湖の水がなければ、彼らが以前住んでいた場所も見えたといいます。しかし、その村はすにダム湖の奥底に水没してしまい、2度と見ることは叶いません。そんなまさにダムと隣り合わせの場所で、彼らがどのような思いを抱きながら毎日の生活を送っているのか。サンロケダムは確実に、人々の「生き方」に大きな影を落としています。



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