【声明】3.11から10年――被害者の救済を エネルギー政策を人々の手に

原発
(夜ノ森の桜並木。2019年11月撮影)

東日本大震災および東京電力福島第一原発事故からまもなく10年がたとうとしている。
亡くなった多くの方々に改めて哀悼の意をささげるとともに、今も続く原発事故の被害の大きさ、多くの被害者の方々の苦悩に想いをはせたい。

原発の非人道性

あの日まで、多くの人たちは、原発を所与のものとして受け入れ、無意識に原発の電気を使ってきた。福島や新潟の原発で発電された電気が福島ではなく、首都圏で使われていること、原発が経済的に弱い立場の地域に押し付けられてきたこと、原発を動かすために多くの作業員が被ばくを強いられていること、その理不尽さと非人道性を、多くの人たちが認識すらしていなかった。

しかし、原発が爆発した衝撃的な映像がテレビで流れたあの日以来、状況は一変した。あの日以来、私たちは多くのことを学んだ。私たちは原発がとてつもなく危険であり、ひとたび事故が起これば、広い範囲に放射性物質が降り注ぎ、10万人以上の人たちが避難を強いられ、10年以上も人が住めない地域があるほど、土地が汚染されてしまうことを身をもって体験した。生業、いきがい、隣近所との交流、何気ない日々の会話、山菜やきのこ、川魚を採り、分ち合う楽しみ、家族で囲む食卓…こうしたことを含めた「ふるさと」の形が失われてしまった。

私たちは、政府が市民の声に耳をふさぎ、一般人に適用される被ばく限度の20倍もの値を避難・帰還の基準としたこと、多くの人たちが賠償のあてもなく避難を強いられたことを見てきた。放射能汚染や被ばくは、実際に生じた「被害」であったのにもかかわらず、「被害」とは認められず、「風評被害」として矮小化された。加害・被害の構造はゆがめられ、政府や東電という実際の加害者がいるのにもかかわらず、その責任は問われないままだ。むしろ被ばく・汚染のリスクを指摘する側が、あたかも加害者のように扱われている状況だ。

「見えない化」される被害

政府は次々に避難者に対する支援を打ち切った。2017年3月、政府指示の避難区域以外からの避難者(いわゆる自主的避難者)約2万6,000人への住宅提供が打ち切られた。それでも、福島県外では区域外避難者の8割近くの人たちが避難継続を選択した。わずかに続いてきた低所得者向けの家賃支援も2019年3月に打ち切られた。
避難者たちの中には、家賃の支払いに苦しみ、経済的にも精神的にも追い詰められる人たちがでてきた。こうした状況に新型コロナウイルス感染症が一層の追い打ちをかけた。

しかし、こうした避難者の生活実態に関して、政府は調査を行おうとしない。民間の支援団体による調査や新潟県による検証によって、私たちはその一端を知ることができるのみである。

福島県の発表によれば、今年1月13日現在の避難者数は36,192人。この数には、福島県内に避難して災害復興住宅に入居した人は含まれていないなど、大きな漏れがあることは以前から指摘されていた。福島県内の各自治体が集計している避難者数をあわせると少なくとも6万7千人を超える。すなわち、避難者の生活実態はおろか、避難者数という最も基本的な数値すら、正確に把握できていない状況だ。

「復興」の演出?

相次いで避難指示が解除され、避難者への支援が打ち切られても、帰還はなかなか進まない。若い世代が帰還せず、高齢者の1~2人世帯が点在する地域が多くなっている。

「近所では次々に家が取り壊されている。もともとのコミュニティ(の形)は跡形もない。これが本当に“復興”なのか」と富岡町に帰還したある男性は語る。 「家にはやっぱり子どもたちがいてよ、子どもたちと一緒に山に行ってよ、そんで山の物を採ったりよ、いろいろ教えたりそれが当たり前だったから。そんな事、いまは何にもできないから」と語るのは飯舘村に帰還した元酪農家の長谷川健一さん。「若いものたちがいないので、(60代の)オレが青年団長だよ」

「“復興”なんて一番ききたくない言葉だね」と浪江町から避難した今野寿美雄さんは話す。「“復興”というのは、いったん元に戻ってから、そこから立ち上がることでしょ? 元にもどらないのに“復興”なんて、ありえない」

原発周辺の自治体の人口減少が進む中、政府は、2021年度、原発の周辺12市町村へ移住する人に最大200万円の支援金を出す方針を固めた。避難者への支援は容赦なく打ち切り、被ばく防護政策はうやむやのまま、人の移住を無理に促進して「復興のカタチ」を演出するともとれる方針だ。

非民主的なエネルギー基本計画の見直し

一方で、多くの人たちが、原発を止めようと、社会を変えようと立ち上がった。2012年には原発の再稼働に反対し、何万もの人たちが首相官邸前や国会前に集い、声をあげた。
2012年の夏、原発やエネルギーに関する国民的な議論が行われた。開かれた民主的な議論を踏まえ、政府は2030年代までに脱原発をめざすことを決定。しかし、これは、その後の政権交代で白紙にもどされた。

現在、電力や産業の利害を代表する人、原発推進に一役買ってきた御用学者や業界・団体関係者といった顔ぶれで構成される審議会で、エネルギー基本計画の見直しが議論されている。審議会では、老朽原発の運転継続のみならず、原発の新増設をも主張する声が強い。2012年以来、原発やエネルギー政策に関する政府による公聴会は、1回も開かれていない。すべての人々の将来にかかわるエネルギー政策だからこそ、市民参加のもと、民主的で開かれた場で徹底的に議論するプロセスが必要不可欠であるのにもかかわらず、政府はそうしたプロセスを実現する努力をまったくしていない。

事故後、東京電力・東北電力が有する原発はすべて停止し、東日本では「原発ゼロ」の状況がすでに10年間継続している。全国的にみても、2013年9月に関西電力の大飯原発3・4号機が停止して以来、ほぼ2年間、全国の原発が停止し、原発ゼロの期間が続いた。いったん再稼働した原発についても、テロ対策施設の建設の遅れ、裁判所による運転差し止め判断、配管のひび割れなどのトラブルによって停止が相次ぎ、現在、実際に稼働している原発はわずか4基。原発の建設費や安全対策費は急上昇し、もはや原発は「安定した電源」でも、「安価な電源」でもなくなった。

一方で、再生可能エネルギーの成長はめざましく、2020年には発電量の約20%に達する見込みである。
しかし政府は、こうした現実を受け入れようとせず、原発を維持・重視し、そのコストを国民に広く負担させる政策を相次いで打ち出している。

核なき社会に向けて

あの日から10年。私たちはこうした状況を改めて直視したい。
私たちは、日本政府に対して、現在の被害を把握し、原発事故被害者全員への完全な賠償と、被害者の生活再建と尊厳を取り戻す真の復興のための政策を実施することを求める。

私たちはまた、政府に対して、エネルギー基本計画の見直しにあたり、現在の旧態然とした審議会構造をやめ、女性や若者、原発事故の被害者、環境・気候変動などに取り組む市民団体など幅広い層の参加のもとで議論を行うこと、各地で公聴会や討論会を実施することなど、開かれた民主的プロセスをとることを求める。

私たちは、原発事故の惨禍を二度と繰り返さないために、被害者とともに立ち、世界中の人たちと手をとりあって、原発も核もない平和な世界に向けて、歩みを進めていきたい。

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