19997月、サハリン島ピルトン湾で発生した

パシフィックニシン大量死についての調査資料

  1. この出来事の背景
  2.  1999年7月の初め、サハリン最北部の油田都市オハ市の国家環境委員会は、ピルトン湾岸で魚の大量死を発見したという地元住民からの報告を受けた。612日、ピルトン湾西部の海岸を調査中、パシフィックニシンがかつてないほどおびただしい量で死んでいるのを、オハ漁業調査団の代表者らが発見したのだった。海岸沿いを何キロにも渡って埋め尽くしていた死がいはすべて、ニシンだった。

     オハ漁業調査団の文書によると、ピルトン湾岸沿いで(1)Torrokhの南方4キロにわたって1平方メートルあたり3,328匹、(2)Verkhoturova地域で1平方メートルあたり126匹、(3)サボ川河口付近で1,200匹、のパシフィックニシンの死がいが記録された。これらをまとめると、Torrokh岬からサボ川河口まで約12キロにわたり、1から6メートルの幅で魚の死がいが連なっていたことになる。さらにその死がいは約50センチの深さにまで達する場所が少なくなかったのである。サハリン科学研究所による概算によれば、密度の少ない場所で計算して計907.2トン、多い場所の計算では計11,167トンもの量の魚が海岸に打ち上げられていた事になる。

  3. 政府機関の指揮の下行われたニシンの死因調査

(1)収集したサンプルの分析結果

ユジノサハリンスクにある州立公衆衛生疫学調査センターCSSEI)がDDT(殺虫剤)や重金属の含有量を調査したところ、サンプルのニシンの中から許容濃度の20倍ものDDTが検出された。

(2)ニシンの死因に対して州調査期間が下した結論

州調査機関の大方の見解では、冬季に凍結した湾岸の海水がニシンの酸素不足を招いたことが、ニシンの死因ということであった。そのようなことは以前にも起こっており、DDTは直接的な死因としては公的に認められなかった。

しかし、専門家やピルトン湾の漁師達、地元住民の説明によれば、こんな大規模に魚が死んだことは今までになかったようだ。酸素不足が原因で起こった大量死は記録にも残っているが、それも10トン未満であり、今回起こったようなことは単に酸素不足が原因にしては大規模すぎる。

さらに、ニシン以外の魚の大量死は見つかっていないことから、この19996月に湾岸の海水が凍結し、酸素不足が起こったとは考えにくい。また、ピルトン湾に非常に自然条件の似通っている近辺の湾においても、去年と今年は、他種の魚の大量死は記録されていない。つまり、全ての湾で凍結状態は同じだったにも関わらず、ピルトン湾だけで大量のニシンが死んだのである。

(3)サハリンEnvironment Watchとグリンピースロシアによる調査 

199973日、グリンピースとサハリンEnvironment Watchの代表は、サボ川河口南部でサンプルを収集した。それらは国際的に認定されたモスクワの研究機関などに送られ、有害有機性汚染物質やDDT、重金属の含有量に関する分析が行われた。

その結果、殺虫剤DDTはサンプルのニシンの中からは検出されなかった。その代わり、比較的新しい石油生成物が、ニシンの体内から大量に検出された。また、魚の体全体の許容濃度は超えてはいなかったものの、魚の頭部には大量の重金属が集中していた。界面活性剤を基剤とする劣化した石油分散剤からの生成物も検出された。さらに加えて、汚染物質であるバリウムが魚の頭部に大量に含まれていた。これは北東サハリンの海水内には、自然の状態で存在する事はない物質である。重金属の結果においては、CSSEIの分析結果と非常に近いものであった。

 

 「死因に関する我々の結論」

 

この分析結果や、えら呼吸からの蓄積が原因と思われる重金属の頭部への集中、また石油生成物がそれほど劣化していなかったことを総合すると、ニシンの死因は胃・腸管からではなくえらからの吸収による急性中毒であったと結論づけることができる。分散剤と石油生成物の結合と、それらの劣化した副産物による、多種類の有機化合物の組み合わせがこの中毒を起こした可能性が大きい。重要なのは、界面活性剤が石油ボーリングの際の泥土に含まれており、また石油流出を防ぐ分散剤としても使われているということである。

さらなることに、死んだニシンが毒性のある物質を含んでいた事を証明する事実がある。それは、普段ニシンを食べていたカモメや他の海鳥、シカでさえも、その死んだニシンに手をつけなかったことである。

特に注目しておきたいのは、ニシンの調査を行ったCSSEIや他の政府機関が石油生成物や界面活性剤の含有量に関する分析を行わなかったということである。付近に殺虫剤を使っている地帯があったため、殺虫剤に関する調査は行われた。しかしこの地域とニシン移動ルートに、ニシンの大量死をもたらす石油産業地があることを気に留める人はいなかったのである。

(4)事実

モリクパック石油採掘場はピルトン湾入口の東約16キロ、海の深度は約30メートルほどのところにある。199812月初めから現在に至るまで、モリクパックは石油採掘として運営されており、採掘時に出る廃棄物を排出し続けている。そこでは19995月中旬から5月末にかけて二つ目の油井が完成した。通常ならば油井が掘られた直後に検査が行われることになっている。19997月初めからモリクパックは石油を採掘しているが、それは二キロに渡って水中パイプラインで運ばれ、浮遊式貯蔵タンクに貯められている。

この魚の中毒死の結果起こった最悪の事態は、ピルトン湾のパシフィックニシンの個体数に打撃を与えた事であろう。死んだニシンのお腹はたくさんの魚卵で満ちていた、ということは、放卵することが出来ぬまま死んでいったのだ。このことから、現在だけでなく次世代の漁業にも打撃をあたえることになる。

そしてそれはもう現実のものとなっている。通常秋に湾内でパシフィックニシンを捕り塩漬けにしている地元住民や漁師は、ニシンがほとんどいないのに呆然とした。秋に捕れた漁獲量はいつもの十分の一から百分の一しかないことは、灯台守や原住民、地元企業の代表者らも確認している。

(5)我々のこれからの活動と要求

モリクパック採掘場からの石油がニシンの死因であるという議論は現段階では一つの可能性でしかない。なぜなら、直接的証拠からではなく状況から判断したものだからだ。だが、ニシンの体内から検出した石油物質とモリクパック採掘場から抽出した石油物質を比較分析することで、直接的要因を断定出来る可能性はある。

我々はサハリン・エナジー社にモリクパックの石油サンプルを提出するよう求めてきたのだが、差し出されたのは会社が独自に分析した石油の成分データだけであった。しかも、そのデータは比較分析には不十分だった。というのも、石油の化学構成が完全には含まれていなかったからである。そこで我々は現在再び、政府代表や市民の立ち会いの下、直接モリクパックから採取した石油を提出するよう求めている。それをニシンサンプルの分析を行っている研究所に送り、ニシンの体内から検出された石油物質とモリクパック採掘場から採取した石油との間に相互関係があるのかどうかをはっきりさせたい。この分析結果は興味のある全ての政党に提出する予定だ。我々はこの研究のあらゆる段階において、この石油会社と政府機関の参加と共に遂行する用意が出来ている。

それと同時に、我々はこのニシンの大量死に関する全ての調査記録とデータをサハリン地区にある妥当な政府機関や連邦機関、サハリン地区の環境担当検事、またロシア連邦の検事長に送る予定である。

現段階ではモリクパック採掘所とサハリンエナジー社に対し、ピルトン湾ニシン大量死の責任を負わせるだけの確たる証拠がない。そこで我々は国の全ての管理機関に対して、我々が提出した資料を調査し、彼等なりの結論を導き、そしてこの調査を完結するよう要請している。

我々はこのピルトン湾で大量のニシンを中毒させ死に至らしめた当事者が認識され、処罰されるよう要求している。

また我々はこの当事者が責任を負わされ、オホーツク海の環境と、パシフィックニシン漁を営む漁師、また大量に死んだ魚に困っている地元住民に対して損害賠償金を支払うよう、強く願っているのである。

 

以上は「Sakhalin Environment Watch」からのレポートの抄訳である。

詳細は10ページのレポートで地球の友にありますので請求下さい。