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2002年3月 スタディツアー報告 ―3月22日
ボランギット村〜砂金採り〜サンロケダム建設現場〜カマンガン再定住地〜バギオ市街 (Written by Iさん、21歳)


 朝5時、空はまだ暗いが、ガサガサと荷物を片付ける音がする。昨晩はボランギット村のある家に一行みんなで雑魚寝だったのだ。今日は朝食前に砂金採りを見せてもらうことになっている。それで、5時起きとなったのだ。

 明るくなるのを待って川に向かう。10分ぐらいの散歩で川に着く。アグノ川だ。村の人達はためらわずに川を渡って行き、僕たちも続く。深さは膝丈ぐらいで意外に浅かった。

 川沿いにはホースや木製の道具、砂の山がところどころにある。手作業の砂金採りを実際に見せてもらう。川沿いの砂を集め、小さな山にしておく。木製の道具をそばに持っていき、ポンプで引いた水を使って、砂を取り除いていく。金は重たいのでゆっくり水を流せば途中で沈む。いらない泥を捨てて行き、最後に砂金の混じっているであろう泥をシャベルに乗せ、タライの中でそっと水をかけながら揺すっていく。砂金がシャベルの上に残される。小さな砂山一つから、指一つまみぐらいの砂金。これを繰り返し、家族総出で一日働くと一人当り1グラム位採れるそうだ。で、1グラムが300ペソ。かなりの稼ぎになる。

 7時過ぎ、村に戻るために歩きだす。ふと、川を見ると気のせいか川幅が広くなっている。渡り始めるとすぐに気のせいではないことが分かった。さっきと違い、体がどんどん沈んでいく。水の流れもずっと速く、強くなっている。僕は腰ぐらいまで沈んで、ようやく渡り終えた。後ろを見るとみんなも沈んでいる。背の小さいSさんは首しか見えていない。神崎さんも村の青年に手を引いてもらってようやく渡った。村人の話では毎日7時くらいになると水量が増すらしい。どうやら上流のビンガダムが放水をしているようだ。

 村に戻ると朝ご飯。そして、一休みすると出発の時間だ。田圃の畦道をゆっくり歩いて行く。素敵なところだった。残念なことだがおそらく二度と行くことのできないところ。ゆっくり歩いて景色を目に焼き付けた。村外れの廃校のところまで来て小休止、ここで待っているとトラックが来るという。ここはダムに沈む予定の村。小学校も数年前に廃校になり、今は建物だけが跡をとどめている。その隣には焼かれた家がある。昨日ここを通ったときは知らなかったのでただ不思議に思っただけだったが、貯水の開始までに村を一掃するため、立ち退きを完全に終えていない村人の家3軒が業者によって焼かれたという話を昨晩聞いたので、生々しく見える。

 来るはずの時間になってもトラックは来ない。来るかどうか分からないし、来ても全員が乗りきれるかどうか分からないので、僕は歩いて行くことにした。何人かが一緒に歩いている。すこし登ると後ろにボランギットが見える。最後にもう一度よく見て、さらに道を行く。しばらくすると後ろからダンプカーがやってきた。荷台には人が満載されている。一行の乗っている写真を撮ろうと構えて待っていると、途中で止まって動かない。タイヤが空回りして、崖のほうに滑って行く。そのうち、車から人が降りて、歩いてきた。後から聞いた話だが、崖まであと20センチぐらいのところでようやく止まれたらしい。

 建設現場の近くまでダンプに乗り、ここで昨日僕たちの乗って来たバンを待つ。本当に炎天下という言葉がぴったりだ。待っている間に波多江さんが工事現場のほうに行くという。じっと待っていても面白くないので僕も工事現場の近くまで行って見ることにした。捕まるのかも、とちょっぴりドキドキしながらどんどん近づいて行く。発電用水路の工事現場が100mぐらい先に見える。堤の裏側の様子もよく分かる。とにかく大きい。昨日見たときも思ったが、今日はもっと近いのでますますそう思う。

 いったんみんなのいるところに引き返した後、今度は堤の上のほうに行ってみる。工事車両の通るわきを登っていく。小高くなっていて、堤の上の様子をさらに上から眺められる所に出た。ますますその規模に驚かされる。隣を通るときにはとても大きかった工事車両が堤のうえでは小さく見える。波多江さんの話によると去年は堤もずっと低かったらしい。素人目に見ても、ダムはほとんど完成している。藤原さんは近くにいた人にストライキの様子を聞いていた。今度は平野側を見渡す。田圃の間に集落が見える。これから行くカマンガン再定住地の場所を教えてもらう。日本のニュータウンみたいに同じ色の屋根と同じ形の建物がかたまって見えた。しばらくすると乗用車に挟まれてバンが3台通り過ぎて行った。みんなを乗せてこちらに戻って来る。車に乗り込み、カマンガンへ出発だ。

 30分も乗らないでカマンガン再定住地に到着した。家ばかりで畑は実験用の小さなものがあるだけ。村の外にもう少し大きいのがあるそうだが、それでも全然足りないようだ。これでは確かに生活の糧がない。家は思っていたよりはきちんとした造りだったが、同じような家が並んでいて、雰囲気は阪神大震災のときの仮設住宅地みたいだった。休憩している間住人と喋っている人もいた。

 昼食前に立ち寄ったガソリンスタンドで一騒動。バンはガソリン車なのに軽油を入れられてしまったのだ。一旦、燃料を全部抜いて掃除しなくては行けないので、ここで食事となった。僕らが乗っていたバンはしばらく走って近くのレストランに行った。バンごとにそれぞれの場所で昼ご飯になったらしい。僕たちの行った所はわりと高級な、それなりの値段のするところだった。

 3時過ぎにバギオの宿舎に帰ってきた。この後は自由時間、夕飯はCPAのオフィスで、ということだった。男部屋ではバギオのマーケットに行こうという話になった。準備ができたT君、I野さんと僕の3人で先に出発した。どこかでタクシーを拾おうということになっていたが、ジープニーが通りかかったので、それに乗った。乗合ジープニーにはおばちゃんや高校生たちが乗っていた。

 マーケットは雑貨や服を売る店の密集した建物と、そのとなりに八百屋や果物屋、魚屋などの巨大なアーケード街からなっているみたいだった。土産物を探すT君、人々の様子を撮っているIさんと別れて僕はフードマートのアーケード街の方に行った。たくさんの店が並んでいて、人々の熱気が感じられた。

 T君、Iさんと合流してCPAのオフィスに歩いて向かう。夕方で活気づいたバギオの中心街を歩く。車も人も多い。地図を見ながら15分も歩くと、裏路地の住宅街に入った。表通りと違って静かだ。CPAのオフィスで夕飯をとり、その後、感想会。これでジョアンさんやヴァージーさん、レイナさんともお別れだ。


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