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「止まないダム反対の声」 (2003.05.22)
2003年5月22日


フィリピン・サンロケダム

止まないダム反対の声


   サンロケパワー社構内で、水田に日の光が差す光景を目にすることはもはやない。農地はすでに何トンものセメントの下に葬り去られ、その代わりに、高さ200メートル、横幅1.13キロメートルのサンロケダムが聳え立っているからだ。
 パンガシナン州サン・マニュエル町、サン・ニコラス町にあるダム・サイトは、電力産業界における「発展」像とされている。サンロケパワー社、フィリピン電力公社、フィリピン政府にとって、それは国家発展の象徴なのだ。

 しかし、家から追いやられ、生活の糧を奪われた人々はそうは考えていない。彼らは、フィリピン政府が一旦、(サンロケ発電所の)操業を始めたが最後、自分たちがダム建設時に失ったもの以上に、失うものが出てくることを知っているのだ。

 1997年にダム建設が開始されて以来、かつて川からもたらされる多くの資源に依存して生活を送ってきた人々は、より苦しい生活を迫られるようになった。
  サンロケダム
 <サンロケダム建設現場 全体図 (上空から)>
写真右下に見えるのは、ダムによって堰き止められてできたダム湖。ダムの下流から写真左へ伸びる砂地は、ダムの建築資材を掘り出した採石場の跡。(2002年12月 FoE Japan撮影)
砂金採り
 アグノ川沿いで砂金採りをしてきた人々。川沿いの砂をふるいにかけ、水で丁寧にさらうと金が採れる。今は事業者によって禁止されている。(2002年9月)

カマンガアン再定住地
 生活の糧がなく、収入源もないため、苦しい生活を送る世帯が増えている。水代や電気代も払えず、この再定住地を後にし、「再々定住」する者も出ている。(2003年4月)
   「今、私たちは飢饉を待つことしかできません。」サン・マニュエル町(サンロケ村)ブボン集落に住むアンシ・バナヤットさん(58歳)は悲しげに語る。彼女は、今と比べてよりよかった昔の生活を悲痛な面持ちで懐かしんだ。彼女らは昔、川へ砂金採りに行くこともできた。また、耕す農地もあったということだ。

 アンシさんは8歳の時、川がくれる自分たちへの贈り物を知るようになった。小作農の家庭に生まれた彼女は、自分の家族らと一緒に砂金採りに出かけた。川が運んでくるその資源は、これまでずっと、彼女たちの家族が最も苦しい状況に直面したときに生き抜く糧を与えてくれた。

 彼女が結婚し、家庭を持ったときも、砂金採りと農地での耕作が生活の糧となった。毎日、骨身を惜しまず働いた。彼女の7人の子供らは、そうすることで、食卓に食事が並ぶことを学んだ。農地や川沿いで汗を流すことで、彼女らは子供を学校にやることができた。

 しかし、今、状況は一変してしまった。

 現在、彼女らは耕作地を0.5ヘクタール借りている。収穫期毎に30袋の米が取れるが、次の収穫期までに自分たちの消費用として手元に残るのは、たった3袋だけだ。

 彼女の子供3人は結婚し、2人は現金収入の手段として各々トライシクル(注:バイクの横にカートを付けたフィリピンの小型の乗り物。)を所有している。しかし、この地域では利用者が少ないため、トライシクルの供給過剰の状態となっており、この小ビジネスは破綻してしまっている。今、彼らはトライシクルの登録証を更新できず、用事のあるときや(ナラ村)カビテ集落にある自分たちの農地への行き来に、「サービス」で運転しているだけだ。

 彼女の娘の一人は現在、カマンガアン再定住地に家を持つ。彼女も、生活は母親と変わらず厳しいと漏らした。再定住地の人々のために用意された生活協同組合もうまくいっておらず、すぐに破綻してしまうだろうと彼女は思っている。持続的な生活の糧がないという現実から、彼女らは今、毎月の電気料金や水道料金の支払いさえ厳しい生活状況に直面している。
捨て身の行為へ

 この地域の厳しい生活状況は、サンロケパワー社の禁止を無視し、自分たちの命を危険にさらしてでも、サンロケパワー社の敷地内に忍び込み、金属廃材や木廃材を拾い集めるという捨て身の行為に人々を駆り立てている。

 これは大きな危険を伴うが、この廃材集めをしている人々、特に女性は、彼らの命をかけている。それが、彼らが生き延びるために必要とされているからだ。


移転と再定住

 ロドルフォ・アルバイ、エスメラルダ・アルバイ夫妻は(サン・ニコラス町サン・フェリペ・イースト村)ボランギット集落で45年間暮らしてきたが、ダム湖への貯水が開始された2002年8月に移転させられた。彼らは依然、約束されていた換金作物への補償金の支払いを待っている。彼らは、(サン・ニコラス町)サン・フェリペ・イースト村(カアルシパン集落)に子供らとともに移り住んだ。彼らは何ヘクタールかの土地を購入できたが、年に一度しか収穫できない。灌漑用水を雨に頼るほかないからだ。

 ロドルフォさんは、「換金作物に対する補償金を2度受け取った人たちもいる」と打ち明けた。また、虚偽の補償請求のケースも何件かあったということだ。これらの補償請求には、サン・フェリペ村の評議員何人かが関わっているとも言われている。

 アルバイ夫妻の娘、スーシー・ランスさんは、自分と3人の子供にとって、生活がずっと厳しくなっていると語る。「ボランギット集落での生活は、少しは楽だった。というのも、いつも川で魚をとることができたからだ。」

 スーシーさんは3人の子供(レンレンさん(16歳)、スーサンさん(11歳)、レスターさん(4歳))の母親だ。彼女は幼い子供にミルクを買ってやるため、どうやって稼げばよいのかといつも悩んでいる。彼女の夫はトラックの運転手で、現在、イサベラ州で働いている。彼の仕事のため、お互いに会えることはめったにない。

 長女のレンレンさんは、高い学費と彼女たちの置かれている現在の生活状況から、次学期の大学の授業に出ることはもうできなくなった。その代わり、彼女は次女のスーサンさんが小学校だけでも卒業できるように、職を探すことにしていると、つぶやくように言った。

 アルバイ夫妻の別の娘、サリー・カプトゥタンさんは、ラグパン再定住地に暮らしている。彼女は「再定住地での生活は厳しい」と語る。「水がないことも時々ある。一度、電気料金を払えなかったので、電気は止められた。」

 バナヤットさん一家やアルバイさん一家のように再定住をした人々は、よりよい生活を約束されていたが、依然厳しい生活を送っている。再定住地では家を売却し、生活の糧や仕事先を見つけることができるだろう場所へ移転していく人々が増えている。彼らは、フィリピン電力公社の生活再建計画では、以前の生活で確保できていた生活の基本的ニーズを満たすのに十分ではないと、繰り返し指摘してきた。

 サンロケパワー社(SRPC)/フィリピン電力公社(NPC)と、アグノ川の自由な流れを取り戻す農民運動(TIMMAWA)/シャルピリップ・サンタナイ先住民族運動(SSIPM)/コルディリェラ民族連合(CPA)との間では、一連の会合が行なわれてきた。全員が、(ベンゲット州)イトゴン町、(パンガシナン州)サン・マニュエル町、サン・ニコラス町の被影響住民に対する補償や生計手段に関する問題に主な焦点を当ててきた。

 砂金採りをしてきた何千人もの人々が経済的に打撃を被っており、金銭補償と持続的な生計手段を要求しているが、依然、補償措置は何も施されていない。砂金採取に従事してきた人々は、サン・マニュエル町とサン・ニコラス町の砂金採取者各々に(ダムの建設工事が始まり、砂金採りが禁止されてからの)3年間の収益分17万1000ペソ(注:約40万円)を補償するよう、SRPCとNPCに要求している。この金額は、各砂金採取者が日々の砂金採りで稼ぐことのできた最低収入に基づいて算出されたものだ。

 一方で、サンロケダムの上流に位置するイバロイ先住民族の地域社会は、先住民族の生活や土地、所有物、生計手段への悪影響を懸念し、終始一貫して、ダムへの反対を表明してきた。彼らは、土砂堆積が緩和されることはないと強く思っており、NPCが適切な緩和措置として提示している対策にも納得していない。

 TIMMAWA、SSIPM、CPAは、フィリピン政府に対し、生活再建計画や補償に関する独立評価調査を行なうよう要求している。また、汚職の可能性も確認する必要があるとしている。

 フィリピン政府は、住民が注意を引いてきた未解決の問題があるにもかかわらず、5月29日に落成式を予定している。しかし、その一方で、ダムの敷地の外では、住民が彼ら自身の組織化を図り、社会正義を求める運動を続けている。

(コルディリェラ民族連合 広報部)
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